前回の鏡野編の続きとなります。
和田の穢多村焼き討ちが、効果を促し
和田村戸長は、これ以上被害が出ては困る為
酒や握り飯を振舞い、周辺のあまり賛同しえない農民も
焼き討ちにあっては困るので、渋々参加したりで
1,000人を超える農民が集まりました。
※もう1度、経路図見ながら読んでみて下さい!!
ココからが分岐点・・・約1,000人の農民を3つの部隊に分け
①本隊は、そのまま東(津山県庁)へ進軍(卯太郎はコッチ)
②1隊は南周りで途中の農村から、農民を動員しつつ県庁を南より攻める
③そして残りの1隊だが、6~70人の屈強な男達で加茂谷(現 加茂町)
へ向かい、加茂谷農民と合流して県庁東側から攻める込む
※加茂谷の農民代表者は、この一揆前に「解放令」の件で
何度も県庁に抗議を行っている。無論相手にはされてない
本隊は③の部隊が時間掛かる為、ゆっくりと東へ進軍・・・
とは言っても、各村の戸長・副戸長&穢多には容赦なく襲撃
吉原・神戸(現 院庄)の穢多村は焼き討ち、田邑村は酒蔵を襲い
酒樽を破壊、そばに流れる川の魚が白目向いたとか・・・
もう~やりたい放題で御座いマス(>_<)
本隊は院庄の南、吉井川沿いの中須賀の河原へ陣取り
更に西側へも進行し、農民を動員したようで
コノ河原に集まった数、およそ1万・・・(*_*)
深夜燃える数々の穢多村の光景は、どんな言葉よりも
恐怖心&強制力が、あったのでしょうね。
↑中須賀の河原
本隊は東(加茂谷)へ行った③の部隊動きが把握出来ず
ココで野営して、③の部隊を待つ事になったのであります。
さて一旦「鏡野編」はココで終わり、次回から「加茂編」入ります。
連日こんなグダグダな記事、御閲覧頂きありがとうございますm(__)m
もっと詳しく書けば良いのですが、これ以上踏み込めば
もっと複雑になりますので、ソフトなタッチで書いてマス(^^;
更にもっと知りたい方は、下記の書物を読んで頂ければ幸いです。
それでは皆様、ごきげんようデス