午前1時のHalfMoon

バイク・安いウヰスキー・燻製と、オタクっぽい男死の日常

美作血税一揆を再探訪・・・加茂編④


またまた間空きましたが、前回の続きデス・・・


津川原の河原にて「生死の選別」が始まった訳ですが、

目の上のタンコブである「宰務一族」を探してたので

大半の穢多の人々は、徐々に解放されました。


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      ※津川原の河原・・・南側


津川原側交渉役を務めた「杉原長蔵」と手習い師範の

「旭 八郎」が捕まり、遂に津川原の長「宰務喜一郎」と

長男「龍太郎」次男「喜平」が捕まりました。

切腹しろ!!」とかヤジが飛び、「殺れ!!」の一言で

竹槍にてメッタ刺し・・・喜一郎以下8名が惨殺された。


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      ※のちに建てられた慰霊碑


次男 喜平の命乞いをする母「みえ」・・・

「DNAを後世に残す訳にはイカン!!」と、同じ運命を辿る。


結果、逃げる途中に殺害された者8名(1~79歳)

河原で処刑された者9名(16~63歳)

不明の死1名(1歳) 計18名の命が絶たれました。


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      ※慰霊碑の向かいには、多くの供養塔が・・・


津川原の主要な人物を惨殺し、達成感に満ちた農民達は

ぽっりぽつりと、次第に解散して行った。
(惨劇が終わった頃、県役人到着!! 説得もあって)

結局、県庁への抗議では無く津川原征伐で終わってしまう。


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      ※兼田橋周辺


岡山県北 東西60km 南北40km 広範な地域を席巻した一揆

29日には県役人に説得され、一部を除き収まりつつありました。


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       ※小高い丘の日上地区


県南の一揆勢400人は北上し、県東の玄関口「兼田橋」を目指していた

兼田橋手前の「日上集落」・・・コノ集落の穢多を先頭に立たせ

「新制度に穢多も反対している!!」と、見せる為に集落に入るが

それだけは許して貰おうと翻弄する、長の可児房次郎

詫び状では収まらず「屠牛に関わる2軒を打ち壊せねば、全て焼き討ち!!」

穢多が穢多の家を壊す!! これも惨い仕打ちで御座います。


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      ※頂上に鎮座する日上八幡神社


破壊の限りを尽くす・・・一揆

無論県側も黙って見てる訳でも無く、兼田橋東岸で迎え撃つ

準備をしてました。
(鉄砲隊2小隊・裏山に大砲2門配置し、大阪へ援軍要請)


5月30日、兼田橋に一揆勢が押し寄せた時!!

突然数発の銃声が鳴り響き、慌てて逃げ出す農民達

何とも惨めな敗退です・・・(>_<)


翌日31日、他の関所では4~5名が射殺・2名が斬殺されたとか

ここで一連の一揆に、終止符が打たれたのでした。



今日は、ココラで良かろぅ~かい?

それでは皆様、ごきげんようデス














☆今回のミッション&資料

〇部落(むら)を襲った一揆・・・上杉聡

〇渋染一揆・美作血税一揆の周辺
 ある墓碑銘への注・・・岩間一雄

〇津川原地内(三浦)

〇兼田橋周辺~日上地内

〇日上八幡神社
   津山市日上831
 カミサマ:誉田別尊etc