鏡野編の続きです・・・
軽四が通れるか?どうか?の細い道を歩き続けると、鳥居発見!!
当日は雨上がりでして、非常に滑りやすくコケとかもあり
スニーカーでも、ツルり・・・連発(^^;
更に階段上がると、お社が見えて来ました。
標高30m程の小高い山の頂上に鎮座する
「八幡神社」(通称 土居八幡)に到着です!!
明治維新により全てが一新され、西洋化が押し寄せ
急激な時代の流れに、乗り遅れる農民達・・・
ガス抜きの存在だった穢多達が「賤民解放令」により
平民になった事で、おプライドがかなりダメージ受け
他の戸長達が抗議しても、ビクともしない新政府
※戸長(元 大庄屋)→副戸長(元 庄屋)→組頭→村役(総代役 卯太郎とか、村の中堅クラス)
反政府主義者の周辺の組頭・村役等の有力者を集めて、念密な協議が
一揆前日の5月25日まで連日、この神社で行われました。
周辺の農村には結束を固める為、連判状を作ったりもしている(^^;
勿論、嵐の中心となるコノ村の戸長・副戸長は知る由もなかったらしい
「八幡神社」から5~600m北へ行くと、見えて来るのが「貞永寺公会堂」
パッと見た目は火の見櫓があり「何とも風流な・・・」と思ってしまう
だがココは、5月26日・・・一揆勢の集結場所
明治6年5月26日AM10:00 ミッション発動!!
白装束を着た実吾郎(卯太郎の弟分)が、村の副戸長邸前をうろつく
「不審者(外国人)が現れた!!」と、火の見櫓の半鐘が鳴り響き
500人の農民が集まり白装束の男を探し始める。
仕掛人の実吾郎は、サッサと着替えて知らんぷり
一芝居打って、農民の怒りの矛先を新政府に向けさせ
頭数揃えて進撃する・・・まんまとミッション成功!!
貞永寺公会堂の敷地に入ると、ズラリと並ぶ供養塔
少なからず、この一揆に関係してるモノと思います。
おっと!今日は長々と書いてしまいました(^^;
それでは皆様、ごきげんようデス
※参道口は非常に分かりにくいです(^^;